神奈川県西部が震源地とされる100年前の関東大震災では、各地で「山津波」と呼ばれる土石流が起きた。
日本遺産「大山詣(まい)り」で知られる伊勢原市では、山津波で約80軒が押しつぶされながらも犠牲者が1人にとどまった「奇跡の町」の教訓が語り継がれている。
「適切な避難指示と住民総ぐるみの避難行動で、死者は奇跡的に1人だったと伝えられています」
7月下旬。市が開いた自主防災リーダー養成研修会で、成田勝也・危機管理担当部長(56)が「関東大震災の記録と教訓」と題して大山の山津波の惨状を紹介した。
地震で山肌に地割れ、そして山津波が襲った
山津波とは、大地震などの山崩れで発生する土石流のことだ。関東大震災では当時の片浦村(現小田原市)根府川地区の根府川駅を襲い、列車が乗客ごと海に沈んで100人以上が亡くなった。
成田さんは30年ほど前、当時93歳だった関東大震災の体験者にインタビューして、この大山の山津波の様子を伊勢原市の広報紙で伝えたこともある。「大震災の教訓を埋もれさせず、次世代に伝えることを常に意識している」と話す。
大山地区は地盤が固く、市によると関東大震災でも家屋倒壊率は7%程度と、地盤が弱い市南部の地区の84%と比べてもかなり低かった。
だが、2週間後の山津波で壊滅的な被害を受けた。
1963年発行、65年増補の「伊勢原町勢誌」によれば、9月1日の大地震で大山の山肌には無数の地割れができていた。「一度大雨がくれば、山崩れで大山町(当時)は一度に流失されそうな状況にあった」
多くの命を救ったのは駐在さんだった
そして2週間後の15日に「…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル